ネパール出身のパンタさんは、GOCAの国際交流ボランティアとして活躍されています。
パンタさんは誰にでも丁寧で物腰柔らかく、ボランティア活動のため、国際都市おおた協会のあるおおた国際交流センター(Minto Ota)にもよく訪問してくれています。
そんなパンタさんに、ご自身のことや大田区との出会い、そして社会に対する思いを熱く語っていただきました!
パンタさんの故郷、ネパール
パンタさんの故郷であるネパールは、ヒマラヤ山脈の麓にあり、インド・中国・チベット自治区に挟まれた南アジアの内陸国です。
人口は約3000万人。異なる多文化の融合した多民族国家です。
ネパールはエベレストをはじめとする、世界有数の山脈を有する自然が豊かな国です。
また、約2500年前にブッダが誕生した国でもあり、観光と農業が盛んな国として知られています。
パンタさんはネパール中部にあるガンダキ州のゴルカ郡の出身。ゴルカは大変歴史の古い土地で、ゴルカ郡は現代のネパールをかたち作るうえで重要な場所です。
16世紀頃、ネパールには多くの独立国があり、24諸国に分かれていました。その国々の一つとして、ゴルカ王国は建国されました。18世紀に第十代目のゴルカ王がネパール24諸国を統一し、ネパール王国を作りました。ゴルカ郡は現代ネパールの礎を築いた場所とも言えます。また、ゴルカ郡といえば、現代ではグルカ旅団と呼ばれる軍隊がとても有名です。
そして何といっても、ゴルカ郡で有名なものといえば豊かな自然です。
ゴルカ郡にあるマナスル山(8,163m)は世界で8番目に大きな山で、北側を中国のチベット自治区に接しています。
古い歴史があり、豊かな自然あふれるゴルカ郡で生まれたパンタさん。ゴルカの自然と歴史を受け継いで、穏やかさと芯の強さを感じます。
日本にきたきっかけ
パンタさんのお父様はインド警察で40年間勤務され、パンタさんご自身は4人兄弟の3番目。
「通っていた高校はカトマンズにあり、情報関連を学びました。日本が戦後数十年で経済的に大きく発展したことを授業や教科書で習い、高校卒業後日本に行きたいと考えるようになりました。」
日本から来た観光客と知り合いになり、ネパールと国民性などが近いと感じたのも来日する要因だったといいます。
「日本に来てまずは日本語学校で日本語を学びました。その後静岡の大学に入学し、情報関係の勉強をしました。静岡に6年住んだあと、東京の会社に就職しました。
今は、大田区での生活は4年目で、日本在住歴は12年になります。」
来日当初は日本語ができず、友達もうまく作れない中寂しい気持ちもありましたが、近くの公園に行って日本人を見つけては片言の日本語と英語で話しかけて勉強した、という努力家です。
日本での生活
静岡から東京に移ってからはずっと大田区に住んでいるそうです。
そんなパンタさんに大田区のことを伺いました!
「大田区ではまず糀谷(こうじや)に住んでいました。その後、弟の来日に合わせ広めの部屋を久が原に借り、現在は西蒲田に住んでいます。」
日本に来てからネパールに帰国したのは2回。
2015年大学3年の春休みに一度帰国してネパールで結婚し、奥さんも来日します。
「ネパールに帰国したのは2015年と、2017年に日本の友人を連れていったときの2回です。地元では兄が両親の面倒を見てくれています。」
大田区のいいところは?と伺うと「大田区は買い物が便利で、近くの大きな街に行くにもアクセスがいいですね。ただ家賃が少し高いです。友達がネパールから来た時には、池上本門寺や街の食堂に連れて行ってあげたいです。」とお話されていました。
現在、パンタさんは情報系の会社に勤め、企業のホームページの作成やデザイン、動画の編集やプログラミングなど、海外含めた他企業の依頼に応じた仕事をしています。
GOCAとの関わり
パンタさんは国際交流ボランティアとして積極的にGOCAとも関わってくれています。
2022年5月にGOCAの国際交流ボランティアの登録しており、「夏休み学習教室」では外国人の小学生に夏休みの宿題を一緒に考えてくれました。
外国人と日本人の交流の場である「GOCAカフェ」のフリートークの場では、外国人同士や外国人と日本人をつなぎ、場を盛り上げてくれています。
パンタさんにとってボランティア活動は「みんなが幸せになるための社会貢献」の一つだと、静かではありながら、しかし強く語ってくれました。
日本でのネパール人コミュニティ
次第にパンタさんの目指す考えの話になっていきます。
日本にはネパールなどから来た外国人の方のコミュニティがあり、パンタさんの地元ネパールのゴルカ地方から来た方のコミュニティもあるそうです。現在ネパールのゴルカ地方からは100人ほどが来日しているといいます。
「新型コロナウイルスの影響で、今はあまりコミュニティ活動は盛んではありません。ただ元々同じ出身や同じ民族の人たちのコミュニティが多く、同じネパールとしてもっと広く、大きなコミュニティとなった方がいいと考えています。」とパンタさんは訴えます。
日本人へのお願い
社会に貢献したい、という強い思いを語ってくれたパンタさんに、日本人にも「もっとこうしてほしい」と思うところについて伺ってみました。
「基本的にはネパール人はアジア人の中でも、かなり日本人と似た国民性があると考えています。助け合いの精神を大事にしていて、楽観的でオープンです。それに、人と接するコミュニケーションが大好きで、非常に人懐っこい性格の人が多いです。日本人との親和性はかなりあると思うので、気構えず、円滑なコミュニケーションを図っていきたいです。」とおっしゃっていました。
「日本に住むネパール人同士は友達になるのに時間はかからないですが、日本の人は「自分はいいよ」と一歩下がった感じで距離を置くので、友達になるのに時間がかかります。ネパールでは信心深い人々が多いので、海外から来ている人たちを神様と同じように、いつもWelcomeの気持ちで迎えています。日本人もそうなってほしいです。」とパンタさんは語られました。
豊かな社会のために
みんなが幸せになれる社会のために行動したい、と語るパンタさん。
自分だけではなく、すべての人々が豊かになるための、まっすぐな思いを伝えてくれました。
「私は人生を豊かにするためには、様々な立場の方と円滑なコミュニケーションを取る事が重要だと考えています。多様な人との出会いによって、“内なる国際化”、つまり色々な国の人々や文化を理解し、尊重することができるようになります。また、人との出会いによって、それぞれの才能を伸ばし、新しい発見・発明・創造を生み出す事ができるようになります。多様な人々を尊重すること、それにより新たな価値を生み出すこと、それらが社会を豊かにします。」
「社会を豊かにすることは、人生を豊かにすることでもあります。そのためには何よりも、自分からの行動することが大切です。」と語ってくれました。
最後に、奥様と9か月のお子様と一緒の写真を見せていただきました。
パンタさんは「自分の気持ちや生活が満たされて幸せになることで、社会に良い影響を与えることができると考えています。まず自分が”100”に満たされていないと、仕事も生活もうまくいきません。」と語ります。
この家族が「100」となるところから、幸せの輪がどんどん広まってゆくというサイクルが生まれて、周りの皆が幸せになっていく姿が想像できました。
会社では掃除をする人に自分から挨拶するパンタさん、「コミュニケーションは自分から」を絶えず実践しているパンタさんの心温まるお話、ありがとうございました!
「隣の外国人」実行委員 鳥生